爺の時事放題~ときどき音楽

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マイナンバー法でまた繰り返す官僚の自己満足

安保法案をめぐるゴタゴタの陰にかくれて、一生派遣の人生から逃れられない「労働者派遣法」や、盗聴・司法取引・捜査の可視化などを含む不備だらけの「刑事訴訟法改正案」、残業代ゼロ対象を拡大する可能性を孕む「労基法改正案」など、重大な法案が国会を通過しようとしています。


中でも「マイナンバー法」は、国民の利便性を図るというお題目にまぎれて、果たして正常な運用が出来るのかという懸念が払拭されないまま、来年1月の施行ありきで全力疾走しています。


我々国民のさいふの中身や、医療記録・年金記録といった人生の中身が国に一括管理される危険はもちろんのこと、さらに下記法案条文を読むと、地方公共団体への管理委託業務が、そこからまたそれぞれの下部行政法人に丸投げされるようで、情報管理の徹底が果たして保たれるのかという心配が(年金機構以外にも)拡がります。


あろうことか、財務省は消費税UPによる税の軽減措置として、この制度で一人ずつ持たされる「個人番号カード」を買い物のたびに提示させられるような運用を言いだしているようです。
こういう新システムが導入されるたびに、カード会社・システム開発会社・カードリーダーメーカーが儲かる仕組みになっているのでしょうが、そういうことには目をつぶるとして、私は条文上の問題を感じます。


このマイナンバー法案条文を読むと、漏洩や不正使用に関する罰則規定はあるものの、(個人情報を奪われた)国民への補償規定がどこにもありません。


つまり、年金記録漏洩などの損害を受けるのは国民であり、漏えいや不正使用の「犯人」が分からない場合、国民は泣き寝入りすることになります。国がこうした制度を作り、その制度を悪用するものが判明しなかった場合は、国が被害者に対して相応の賠償をすることは当然ではないかと思います。


特にネット社会の犯罪は巧妙化する一方であり、行政が追いつかないことの方が多い。そのしわよせを国民が浴びるような社会ではますます格差は広がります。


法律はどこまでを想定しているのか、どこから先は想定していないのか。


考えてみればもともと、法律を作る頭のいい官僚は、想定外のことには目をつぶり、法案を作ったこと自体に達成感を味わう習性があるようで、これは想定外で逃げるだけの原発対応をみても明らかです。


こういう「想定外」の穴だらけ法の中で、我々はこれからも暮らしていくわけです。


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安保法案賛成派/反対派のプロフィール比べ

現政権と安保法案をめぐって賛成/反対の主張を掲げる国民は、結果としての賛成/反対のような単純な二極化ではなく、メンタリティにおいて様々なプロフィールになると思います。


以下、備忘録として整理します。私見なので認識違いがあればご指摘ください。


【賛成派】


■伝統的な右翼(行動右翼)の方:
一概に右翼と一括りには出来ず、国家に対する愛国心・忠誠心が高ずるあまり、常に反体制・国家の革新を旨とする「真正右翼」と、反共・体制擁護を旨とする「行動右翼」とに分かれ、ゆえに「真正右翼」には現在の安保法案に反対の立場をとる方が多い(と聞きますが、私は右翼ではないので実態は詳しく知りません)らしいです。


■草の根保守の方:
戦前回帰をめざす日本会議を中核として、その復古主義の影響を受けている大勢の方々で、(そんな主義の自覚はなくとも)村長さんから投票や署名を頼まれればハイハイと請け合うような地方の高年齢層が多くいます。つまり、かかさず神社やお寺にお参りし、皇室と先祖を尊び、里山と土の香りの中で生きている善男善女です。
そしてこの層の方々は、表立った賛成意見は述べなくとも、それは「声なき声」なのであり、間違いなく現政権の議席数の土壌になっていると考えています。


■企業エリートの方:
小泉政権以降、新自由主義の流れの中で大企業の正社員としてキャリアを積みそこそこの所得を獲得して「勝ち組」となり、その成功体験ゆえにこの社会体制を肯定する方々にして、(自分には関係のない)格差問題や雇用問題などにはさほど言及しません。
アベノミクスの本質を知らずして、自分の生活の充足ばかりに目が向き、果ては「国の安全と平和のために日本は強くあらねばならない」という賛成論に至っています。
日本がアメリカの手先になる可能性には目をつぶるのか、又は「そんなことはない」と反論するのか知りませんが、いずれにせよこの考え方が将来「好戦論」に走る可能性なきにしもあらず。
ちなみに俗に「ネトウヨ」と言われる方々は、この層のバーチャル的活動であることが多いと言われています。 
つまり「ネトウヨ」は決して引きこもりPC三昧の落ちこぼれオタクなのではなく、デザイナーズマンションの上階に居を構えて街並みを睥睨しながら「勝ち組幻想」に浸るかと思えば、時にはお洒落なイタリアンレストランかジャズバーで上質なワインに舌鼓を打ち、同じような仲間との会話を楽しむ。それでいて1人になるとPCに向ってゲームに夢中になるかたわらSNSに過激な発言を書きこんでいる、というような人生の持ち主です。


【反対派】


■旧左翼系の方:
旧社会党、共産党などの政党員や、革マル・中核など新左翼学生運動くずれ、その影響を受けた日教組・連合など労組系団体といった反政権を標榜する方々です。
ソ連の共産主義崩壊から冷戦の終焉を経た現在、右だの左だのという対立軸が存在しなくなっているにもかかわらず社会主義的理想を追い求め、「正義」にこだわるあまり(正義などとっくに諦めた)大衆の支持を得られず、反対運動の動員力も急激に減少しています。
特に民主党政権の失敗以来、「政権もダメ、野党もダメ」という国民の根源的な政治不信を招いた責任を感じることなく、いまだに正義に依って立つ幻想を持ち続けています。


■護憲派の方:
主に憲法9条を守るということにメンタリティを置き、憲法違反の法律には断固反対する方々です。
日本が「世界でも特殊な国」であり続けることに意義を見出し、「強い国」よりも「戦争をしない国」ということに国家的価値観を持っているので、現状肯定・お花畑・一国平和主義と揶揄されています。
SEALDsやママといった方々がデモに積極的に参加するようになったのも、こうした分かりやすく与しやすい主張の賜物だと思っています。


■改憲派の方:
国の安全保障は個別的自衛権の容認に留まり、集団的自衛権は違憲とする立場から安保法案に反対しています。
しかしながら武力の保持を認めない憲法に矛盾している自衛隊の存在を明文化するための改憲には賛成という方々です。
受動的に国の防衛をしっかりとしたものにするために、自衛隊の存在を認める。
「戦争をしない国」を保つ意味においては護憲派と同じですが、専守防衛のあり方について若干色合いが違うと感じています。
※私自身はこのスタンスです。


■政権自体に反対の方:
(上記の2つとダブる面は多いですが)安保法案だけではなく、現政権の政策のほとんどに反対する方々。
その理由は、アベノミクスやトリクルダウンを「まやかし」として、金融や経済至上主義(新自由主義)は1%のための政策と断じ、かたや医療・雇用・教育・年金などの弱者対策はどんどん削減されている現実を見て、現政権にはまかせておけないという結論に至ります。
(「戦争法案」というレッテルは別として)日本の社会を戦争に近づける安保法案にももちろん反対であり、これによって格差がより拡がることに危機感を持ちながら運動に参加しています。
※私自身はこのスタンスです。


■次世代への責任を感じる方:
自分たちの世代よりも、将来の世代にこのまま引き継いではいけないという切迫感に動かされている方々。
高度成長の恩恵を受け、バブル崩壊の洗礼も受けたあと、物質的な豊かさの矛盾と限界とを感じながら生きてはいるが、この法案をはじめとしてあくまでも「強い日本」「右肩上がり」をめざす政権の行き方に疑問を持ち、来たるべき少子化・高齢化の時代にあって、子供や孫のために「身の丈に合った社会」への希望を託すに至ります。
※私自身はこのスタンスです。



以上、いくつかの類型に分類しましたが、(私自身がそうであるように)考え方がいくつかにまたがっている方も多いと思います。


重要な点は、もはや右だ左だというカテゴライズは無意味なものになっており、では対立軸が「1% vs.99%」なのか「護憲vs.改憲」なのか「保守vs.リベラル」なのか分かりませんが、時代はどんどん進んでおり、旧態依然とした論争・誹謗中傷はやめて、それらの共通項を探る意識が国民にとって、あるいは正しい民意の醸成にとって必要なのではないかと思います。



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8月30日国会前総がかり行動

都合により、今後は文体を「デスマス調」に変えます。


8月30日は所用で国会前抗議行動に行くことが出来ず忸怩たる思いをしましたが、集会に参加した友人たちと落ち合って、ひさびさに政治談議に花を咲かせ、自分なりに充実した1日でした。
帰ってからいろいろな報道やブログなどを観ると、主催者発表12万人とも、延べ35万人とも書かれ、かたや警察関係者の話で3万人余りという数字が目につきました。
12万人、35万人という主催者発表の数字に対しては、賛成派やネトウヨからは誹謗中傷罵詈讒謗揶揄苦言嘲笑の嵐です。


ある時、反対派の友人から「デモの動員人数についてどう思うか」と聞かれ、「個人的には主催者と警察の数字の間をとっている」と答えましたが、今一度これらの数字について考えました。


少しでも多く見せたい主催者と、警備上の観点から実数を把握したい警察との数字には乖離があって当然です。
ここで気をつけなくてはならないのは警察の計測です。


このブログは2012年(反原発デモ真っ盛り)のものですが、ここに書かれているように、「警視庁は、関係者によると、会場の混み具合から単位面積あたりの人数を推定し、会場全体の面積を掛け合わせて人数を算出している。「身動きが取れないほどの混雑なら1平方メートルあたり8人」など、基本となる人数の推定には様々なノウハウがあるが、外部には公表していない」というのが事実のようです。


いろいろなブログには「警察発表」という言葉が使われていますが、報道機関は「警察関係者の話によると」と書かれています。
つまり警察は公式発表しているわけではなく、公表していないものを記者が聞きだして書いているわけで、「今日はどのくらいですかね?」「う~ん、この感じだと○千人かな」というような会話がソースなのだと思われます。


「警視庁調べ」とも書いてあるけれど、それは「警視庁が調べた数字」ではなく、「警視庁の誰かに聞いて調べた数字」なのではないかと思います。


さらに言えば、数字の根拠となる「1平方メートルあたりの人数」次第で何倍にもなるし、「1平方あたり1人」として計算しているサイトもあり、空撮画像から見ていくらなんでもそれはない。
8人のすしづめ状態ではないにせよ「1平方あたり数人」が妥当でしょう。


これらを勘案すると、昨日の国会前はやはり主催者と警察の数字の間ということになります。
昨日は国会前だけでなく、霞が関や日比谷、憲政記念館前と複数個所で行動が行われていることもあり、推察するに「延べ35万人」は行かなくとも10万ははるかに超えていたのではないかというのが私の感想です。


※もうひとつ紹介する「たがや亮氏のブログ」には、当日の周辺駅4駅の改札口通過者の数を調べて7万人という数字をはじきだしています。その他の駅や日比谷公園で行われた大集会からバスで移動した数を含めると、国会前だけでも10万という動員はあながちはずれてはいないことが分かります。



しかしながらここで見るべきは国会周辺の集会の規模感ではなく、次の2つの点ではないかと考えます。


ひとつは規模が拡大し続けていること。
昨年以来行われ続け、衆議院採決以降も夏休みにもめげずに継続し、昨日の規模が最大になったことは、間違いなく民意の高まりが上昇ベクトルにある証拠であり、支持率の上下にも一喜一憂することなく上向き局面にあり続けていることに驚くべきです。


そしてもう一つは、東京だけでなく全国津々浦々で行動があった事実。
報道によれば300カ所で開かれたとあり、大阪での25000人から小さな町での数百人、数十人まで規模は様々なれど、平均1000人としても単純計算で30万人が参加したことになります。


こうした集会が全国各地に拡がっていることは事実ですし、間違いなく前代未聞の現象であり、かつ参加者数が右肩上がりになっている現実を見据えなければなりません。


報道やブログに現れる数字を鵜呑みにして独り歩きさせることより、自分で調べて納得できるものかどうか検証する心構えが最も必要だと思います。


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