爺の時事放題~ときどき音楽

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自民党改憲草案

改憲には衆参各議員の2/3以上の賛成で発議が出来ます。
その後、国民投票で過半数を得ることで改憲が成立します。
現在衆議院は与党が2/3以上を占めています。参議院では過半数ですが、夏の選挙で2/3を占める可能性があります。


衆参両院で与党が2/3を占めるのは「史上初めて」です。
今年はそういう特別な年です。


では現在の自民党がどのように改憲しようとしているのか、新旧対照で分かりやすいブログがこれです。


ポイントは。


【9条】「国防軍」の新設です。私は現在の自衛隊の存在を「個別自衛のための軍隊」として明文化するのは認めますが、集団的自衛権を認めるのは反対の立場です。国連決議による「集団安全保障」に従う以外に、戦争・紛争に参加することには反対です。


【12条】憲法が国民に保障する自由および権利は、「公共の福祉」のために利用するのが国民の責務としているものを、「公益及び公の秩序」と文言を変えようとしています。これは公権力に逆らってはならないという意味にとれます。「公益及び公の秩序」という文言は他の条項にもたびたび登場します。


【24条】家族を社会の基礎的な単位とし、互いに助け合わなければならない、という条項の新設です。これは家長を一種の権威とみなす戦前の空気に戻す意図が感じられます。


【96条】改憲の発議を(2/3以上ではなく)過半数で可能にする条項です。改憲へのハードルが低くなります。


【98、99条】社会混乱・外部からの武力攻撃・大規模自然災害に際して、政権が全権を掌握する緊急事態宣言を発することが出来る新設条項です。これは別途法律で定めればいいことであり、その限定された期間についても曖昧です。


【102条】「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という文言を加えるものです。「憲法が権力をしばる」ものではなく、逆に「権力が国民をしばる」という本末転倒があります。


さらに言えば、緊急事態宣言に限らず、環境保全、個人情報保護など、憲法で規定しなくても法律の制定で事足りる新設条項もあります。これは国民の同意を得られやすい条項で改憲そのものに慣れてもらおうとする、「おためし改憲」という政権の手法です。


これらの条項にひとつでも疑問を持つのならば、また改憲をめざすならば、安保問題、人権問題など十分な時間をかけた議論が必要であり、それは1,2年で結論が出るものではありません。
安倍首相は「長年の党是だった」としきりに言いますが、それは自民党の仲間うちだけの話で、改憲案が国民に具体的に示されたのはたった数年前です。


現政権は、「新三本の矢」などの国民に耳触りのいい政策でエサをばらまき、本音であり悲願である改憲に必要な2/3の勢力を獲得しようとしていますが、この夏の選挙で与党を2/3以上にするか否かは、国民の約半数の「選挙に行かない人たち」の意志次第です。
これ以上権力に有利な社会にしないために、次の選挙に「棄権」は考えられません。


野党共闘が出来ない、ふがいない、と気をもんで人任せにするのではなく、国民が参加意識を持って選挙に行けば、(不正選挙でない限り)政権の野望にストップをかけることが出来るのです。

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ファシズムについて

「ファシズム」に関して少し考えてみました。


「ファシズム」とは一般に「独裁主義」「全体主義」と言われますが、Wikiによれば「結束」「結集」「束」を意味するイタリア語の「ファッショ」が語源です。


「ファシズム=悪」という概念で通る現在、この言葉は(自由主義・資本主義・民主主義などの側から)対立する独裁的・全体主義的なものを罵倒・攻撃する言葉として広く使われますが、もともと大ぴらに使われた最初は、ムッソリーニが作った「ファシスト党」でした。


では第二次大戦前のイタリアで何故、悪の象徴とも言えるこの言葉を党名にしつらえたのか。さらに当時の民衆が何故この党になびいたのか。


そういう疑問を持ちました。


当時の社会状況がそうさせたのだとも思いますが、イタリア人にとって「結束」を意味するこの言葉に対して、さほどの違和感がなかったせいだとも考えます。
これが隣国ドイツに及んでナチスが出現し、共産主義のロシアや自由主義の米英仏各国から非難を浴びますが、イタリア「ファシスト党」設立当初は、各国がそれほどの危機感を抱くような脅威ではなかったのではないかと思うのです。


「結束しよう!」と呼びかけるムッソリーニに、農業国イタリアの人々が共鳴したと想像するのはさほど難しい事ではありません。将来において「結束しないやつは非国民」という風に変質していったとしても、当時の社会では容易に受け入れられる言葉だったのかもしれません。


そしてこの「共鳴現象」は現在の日本にも見られます。


「美しい日本」「誇りある国づくり」「豊かで秩序ある社会」「家族を大切に」など、日本会議のHPに踊る綺麗なフレーズの数々になびき、選挙のたびごとに何も考えずに投票する善男善女が全国津々浦々にいますし、その大半が農林水産業を生業とする人たちだということもイタリアと似ています。


考えてみると、安倍政権の基盤政策である「三本の矢」も、毛利元就の故事に倣ったもので、ここにも「結束」の概念が含まれています。
現政権が何を考えてこの政策をこう命名したのか分かるような気もします。


現政権は当然「ファシズム」と言われることを否定しますが、いま目覚めないと取り返しのつかないことになると思うのです。


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「伊勢崎賢治、高遠菜穂子 講演&トーク」レポート

12月15日「伊勢崎賢治×高遠菜穂子 ~現場から問う、自衛隊、憲法、安保法制~」受講@青山学院大学2号館


・伊勢崎氏は現在東京外語大教授だが、国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当、日本政府特別代表としてアフガニスタン軍閥の武装解除に携わった紛争現場のエキスパート。米軍には出来なかった軍閥の武装解除を成功させたことが有名。


・高遠氏はインドの「マザーテレサの家」ボランティアを経て、イラクでの人道支援活動を2003年5月から開始。以来12年、一時過激派組織に拉致されながらも、学校・病院の修繕、国内避難民支援などを継続し、日本とイラクを往復しながら現場の悲惨な状況を知らせる活動をしている。


・他にコーディネーターとして、自衛隊イラク派兵違憲訴訟名古屋弁護団として、2008年4月、空自イラク派遣違憲判決を勝ち取った川口創弁護士。


・進行(主催)はフリージャーナリストの志葉玲氏。川口氏、雨宮処凛氏などとともに山本太郎氏のブレーンとして活動している。



<レポート>


最初に二氏のレクチャー(1時間)があり、会場から質問に答えるトーク(1時間)でしたが、高校生から老人、主婦まで、会場の大教室満杯の170名ほどの聴衆を前に、テーマに沿ってそれぞれの体験と思いを熱く語っていました。
以下、メモをもとに要点を書きます。


伊勢崎氏  ※は私の個人的補足


「平和と紛争」学(戦争=悪とあえて決めつけず、その構造や原因を客観的に研究する学問)の学者として、まず「1.個別的自衛権」「2.集団的自衛権」「3.集団安全保障」の区別や、「1」「2」は攻撃を受けた場合の暫定措置の意味しかなく、国際法や国連憲章で認められているのは「3」のみであること。


さらに日本国憲法では、「1」も「2」も本来認められておらず、従って自衛隊も違憲だが、政府はこれまで自衛権の行使は正当との立場から、他国の「military」と同レベルの軍事組織を「self-defence force」という言葉で呼んで国民を納得させてきた。


こうした「国内向けの言葉」は最近でいうと「非戦闘地域」「一体化」「後方支援」「兵站」などたくさんあって(※「大筋合意」もそうだと思いますが)、これらの活動は国際常識から見ればいずれも「戦争」である。


要するに小泉政権の「テロ特措法」「イラク特措法」などのPKOから既に日本は戦争に「参加」しており、実質的に集団的自衛権を行使してきた。


これに加えて、今回の憲法論議でも、「武力の行使(国家レベル)」と「武器の使用(現場レベル)」を巧みに使い分け、国会を強引に乗り切った(※野党がそこを追及できなかったことも情けない)。これも「国民向けのまやかし」と断じました。


また、「国家」と「国準」(国に準ずる組織)と「テロ組織」の区別もあいまいなままでは、自衛隊が現地でどういう行動基準で動いていいか(どの相手にどう対応するか)明確ではない(※隊員の行動結果を自衛隊法で裁くのか、刑法の国外犯で裁くのか、という論議にもつながります)。
もし現在提案されている「野党連合」が政権をとったら、安保法案廃案だけではなく、今各地に派遣されている自衛隊を全部帰国させるくらいのことをやらないと、(外国での戦争に参加しないという憲法の最低ラインに則った)自衛隊の本来の立場が戻らないとしていました。


9条改憲については、2つの概念があるとしました。


1.自衛隊の現実に即して文言は変更するが、「不戦」という理念を残す改憲
2.憲法の文言を変えずに守る護憲


氏は「1」の立場であり、いろいろな場で(改憲なのか護憲なのか)誤解されるらしく、「私はあくまで理念的に護憲です」とも言っていました(※ちなみに私も同じ意見であって、9条が平和の礎であるとして、ひたすら「守ろう!」とだけ叫ぶ人たちとは一線を画します)。


しかし憲法をいくら変えようが、日米安保(正確には地位協定)がある限り現状は変わらない。
フセインが倒れてイラクに傀儡政権が出来た時に、米軍に対して「行動」の縛りを要求したように、日本の安全保障を根本的に変えるには地位協定に踏み込んで、「日本国内の基地から米軍を出動させない」ように要求出来ないようでは、主権国家ではなくいつまでたっても植民地であるとも指摘しました。


■高遠氏


北海道の千歳出身なので、幼いころから自衛隊が生活の一部としてあり、基地から演習の銃声や爆音が聞こえてもなんら違和感はなかったけれど、現地に赴いて「この(聞きなれた)銃声や爆発音の下で人が死んでいる」と思うとショックを受けた、という話から入りました。


他にも、朝おはようの挨拶を交わした人がお昼には死んでいるという日常、停戦合意が出来て安心して寝られると思った夜に爆撃があるという不条理、イラク政府軍の民衆デモに対する虐殺や、部族間の戦闘などは日本でまったく報道されず、ISISの残虐さだけが繰り返される日本のマスコミに昔から不信感を持ち、今では絶望に変わっていることなど、現場で体験した数々の理不尽を映像を交えながら、話が止まらない(※彼女の中では憤りと諦めが葛藤していると感じました)。


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■質疑応答で一番納得したこと


「マスコミに対する政府の圧力」や「捏造報道や情報隠ぺい」の原因は何か?との聴衆の質問に、伊勢崎氏が(ここにいる方々は意識が高いけれど、と前置きしながら)「政府の横暴というよりも国民が知りたがらないからでしょ。視聴率が稼げないものは放送しませんよ」と一言で断じていたことも印象的でした。


私がメモをとれたのはここまでで、内容が面白すぎて引き込まれるだけの2時間余りでした。


今回私は「現場体験を聞きたい」「そこには報道のバイアスがかかっていない事実があるはず」との動機で赴きましたが、会場で買った伊勢崎氏の著書「本当の戦争の話をしよう」(2012年福島の高校生に5日間の集中講義をした時の講義録)には、「体験者の話を特別視してそれをそのまま肯定する、という考えは持たないでほしい」「イラクのフセイン像が倒された時も、米軍万歳と喜んでいるのはカメラに映った一握りの人たちで、数十m離れたところでは大半の人が冷静に見ていた」「このように、アングル次第で画像なんてどうにでもなるし、必ず体験者の主観やバイアスは入る」と高校生に話していました。


体験者が「絶対真」なのではなく、その話を聞いて疑問を持ち、自分で調べて考えることが大事なのだと身に染みて感じました。


以上、何十年ぶりで入った大学構内の雰囲気に懐かしさを覚え、多少アカデミックな頭となって過ごした夜でした。


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