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「伊勢崎賢治、高遠菜穂子 講演&トーク」レポート

12月15日「伊勢崎賢治×高遠菜穂子 ~現場から問う、自衛隊、憲法、安保法制~」受講@青山学院大学2号館


・伊勢崎氏は現在東京外語大教授だが、国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当、日本政府特別代表としてアフガニスタン軍閥の武装解除に携わった紛争現場のエキスパート。米軍には出来なかった軍閥の武装解除を成功させたことが有名。


・高遠氏はインドの「マザーテレサの家」ボランティアを経て、イラクでの人道支援活動を2003年5月から開始。以来12年、一時過激派組織に拉致されながらも、学校・病院の修繕、国内避難民支援などを継続し、日本とイラクを往復しながら現場の悲惨な状況を知らせる活動をしている。


・他にコーディネーターとして、自衛隊イラク派兵違憲訴訟名古屋弁護団として、2008年4月、空自イラク派遣違憲判決を勝ち取った川口創弁護士。


・進行(主催)はフリージャーナリストの志葉玲氏。川口氏、雨宮処凛氏などとともに山本太郎氏のブレーンとして活動している。



<レポート>


最初に二氏のレクチャー(1時間)があり、会場から質問に答えるトーク(1時間)でしたが、高校生から老人、主婦まで、会場の大教室満杯の170名ほどの聴衆を前に、テーマに沿ってそれぞれの体験と思いを熱く語っていました。
以下、メモをもとに要点を書きます。


伊勢崎氏  ※は私の個人的補足


「平和と紛争」学(戦争=悪とあえて決めつけず、その構造や原因を客観的に研究する学問)の学者として、まず「1.個別的自衛権」「2.集団的自衛権」「3.集団安全保障」の区別や、「1」「2」は攻撃を受けた場合の暫定措置の意味しかなく、国際法や国連憲章で認められているのは「3」のみであること。


さらに日本国憲法では、「1」も「2」も本来認められておらず、従って自衛隊も違憲だが、政府はこれまで自衛権の行使は正当との立場から、他国の「military」と同レベルの軍事組織を「self-defence force」という言葉で呼んで国民を納得させてきた。


こうした「国内向けの言葉」は最近でいうと「非戦闘地域」「一体化」「後方支援」「兵站」などたくさんあって(※「大筋合意」もそうだと思いますが)、これらの活動は国際常識から見ればいずれも「戦争」である。


要するに小泉政権の「テロ特措法」「イラク特措法」などのPKOから既に日本は戦争に「参加」しており、実質的に集団的自衛権を行使してきた。


これに加えて、今回の憲法論議でも、「武力の行使(国家レベル)」と「武器の使用(現場レベル)」を巧みに使い分け、国会を強引に乗り切った(※野党がそこを追及できなかったことも情けない)。これも「国民向けのまやかし」と断じました。


また、「国家」と「国準」(国に準ずる組織)と「テロ組織」の区別もあいまいなままでは、自衛隊が現地でどういう行動基準で動いていいか(どの相手にどう対応するか)明確ではない(※隊員の行動結果を自衛隊法で裁くのか、刑法の国外犯で裁くのか、という論議にもつながります)。
もし現在提案されている「野党連合」が政権をとったら、安保法案廃案だけではなく、今各地に派遣されている自衛隊を全部帰国させるくらいのことをやらないと、(外国での戦争に参加しないという憲法の最低ラインに則った)自衛隊の本来の立場が戻らないとしていました。


9条改憲については、2つの概念があるとしました。


1.自衛隊の現実に即して文言は変更するが、「不戦」という理念を残す改憲
2.憲法の文言を変えずに守る護憲


氏は「1」の立場であり、いろいろな場で(改憲なのか護憲なのか)誤解されるらしく、「私はあくまで理念的に護憲です」とも言っていました(※ちなみに私も同じ意見であって、9条が平和の礎であるとして、ひたすら「守ろう!」とだけ叫ぶ人たちとは一線を画します)。


しかし憲法をいくら変えようが、日米安保(正確には地位協定)がある限り現状は変わらない。
フセインが倒れてイラクに傀儡政権が出来た時に、米軍に対して「行動」の縛りを要求したように、日本の安全保障を根本的に変えるには地位協定に踏み込んで、「日本国内の基地から米軍を出動させない」ように要求出来ないようでは、主権国家ではなくいつまでたっても植民地であるとも指摘しました。


■高遠氏


北海道の千歳出身なので、幼いころから自衛隊が生活の一部としてあり、基地から演習の銃声や爆音が聞こえてもなんら違和感はなかったけれど、現地に赴いて「この(聞きなれた)銃声や爆発音の下で人が死んでいる」と思うとショックを受けた、という話から入りました。


他にも、朝おはようの挨拶を交わした人がお昼には死んでいるという日常、停戦合意が出来て安心して寝られると思った夜に爆撃があるという不条理、イラク政府軍の民衆デモに対する虐殺や、部族間の戦闘などは日本でまったく報道されず、ISISの残虐さだけが繰り返される日本のマスコミに昔から不信感を持ち、今では絶望に変わっていることなど、現場で体験した数々の理不尽を映像を交えながら、話が止まらない(※彼女の中では憤りと諦めが葛藤していると感じました)。


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■質疑応答で一番納得したこと


「マスコミに対する政府の圧力」や「捏造報道や情報隠ぺい」の原因は何か?との聴衆の質問に、伊勢崎氏が(ここにいる方々は意識が高いけれど、と前置きしながら)「政府の横暴というよりも国民が知りたがらないからでしょ。視聴率が稼げないものは放送しませんよ」と一言で断じていたことも印象的でした。


私がメモをとれたのはここまでで、内容が面白すぎて引き込まれるだけの2時間余りでした。


今回私は「現場体験を聞きたい」「そこには報道のバイアスがかかっていない事実があるはず」との動機で赴きましたが、会場で買った伊勢崎氏の著書「本当の戦争の話をしよう」(2012年福島の高校生に5日間の集中講義をした時の講義録)には、「体験者の話を特別視してそれをそのまま肯定する、という考えは持たないでほしい」「イラクのフセイン像が倒された時も、米軍万歳と喜んでいるのはカメラに映った一握りの人たちで、数十m離れたところでは大半の人が冷静に見ていた」「このように、アングル次第で画像なんてどうにでもなるし、必ず体験者の主観やバイアスは入る」と高校生に話していました。


体験者が「絶対真」なのではなく、その話を聞いて疑問を持ち、自分で調べて考えることが大事なのだと身に染みて感じました。


以上、何十年ぶりで入った大学構内の雰囲気に懐かしさを覚え、多少アカデミックな頭となって過ごした夜でした。


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